今年のクリスマスはイタリアは不景気気分が蔓延していて、旅行に出る人も少ないらしい、とか、外食が減っているらしい、とか、ごちそうも、プレゼントも倹約ムード、という感じがしていたのだけど、やはりクリスマス、されどクリスマス。


クリスマスのプレゼントというと、アメリカ映画などでは、ツリーの下にプレゼントが山盛りになっていて、翌朝「わーい!」と子供たちがプレゼントを開ける....というイメージなのですが.......



イタリアでもツリーの下、というのは同じですが、開くのは25日の0時なのです。
だから、だいたい子供もがんばって、起きてる。
ヨーロッパも北の国では早い時間にお開きになるらしいのですが、ローマは食事するのも、始まるのもゆっくりで。



両親がミラノの親戚に行っているから、という友人が友人を招いてクリスマスを過ごしたのですが、「8時に来て。」と言われたものの、8時にはまだ食事の準備中。


9時すぎにだいたい準備が整って「着替えてくる」と皆、部屋にもどったきり、1時間ほども戻ってこないし。
(身内のパーティでも、一応、おしゃれするのです。さすがイタリア人。)


結局「乾杯」をしたのが10時すぎ、パスタにありついたのは、11時すぎ、ケーキを食べたのが12時すぎ、家に帰ったのは2時でした。ちなみに地下鉄は夜の9時に終了。地下鉄職員も家族でクリスマスを過ごしたいのが優先なのですね。

友人たちはまだその後、DVDを見るとか言っていた。タフです。



楽しいひとときでしたが、プレゼントについて、いつも思うのだけど、どうなん?って。
もちろん相手のことを思ってあげるわけだから、選ぶのも楽しいし、もらうということ事態「私のことを思ってくれたんだ」と思うのでうれしいのですが、やっぱりビジネスになっている、というか。道行くプレゼントを抱えている人を見るたびに「無駄が多いのじゃないか?」と。


イチゴの香りのバスソープなんて、どうしましょう?誰かにあげようかしら?とか。


イタリアのクリスマスケーキ、パネットーネ、パンドーロにしても、たいてい人にあげる物だったりして、どこの家もそうそう食べれないから、もらった物をまわして、あげているみたいだし。(保存がきくし)。


もっと儀礼的で形式的な日本のお歳暮のほうがまだ実用的だったり「もらってうれしい物」だったり、無難な物だったりして、誰がもらっても喜んでもらえる物が揃っていると思います。


ま、それはそれで誰に贈った、贈らなかった、予算がどうとか、いろいろ面倒くさくて、大変なこともあるでしょうけど。


本当のプレゼントって、こういうことだと思うのです。(↓)クリスマスの度に思い出して初心に返りたいと思います。


金色の箱


第4の東方博士